観光
こんなツイートを目撃。
完全に昭和 pic.twitter.com/J8YiSRiu8Q
— ザ・メリークリスマス (@themerrychristm) 2015, 8月 31
ってメリクリでした。
そこで目についたのは左側にある「観光美容室」。
いくらなんでもとんでもない店の名前だ。無理がありすぎる。
その昔にこの街(どこだか知らない)が観光地として一斉を風靡していたとして、そして隣に観光客向けの食堂があったとしてもそれに美容室までもが便乗してしまうなんて。
気づいた時は笑えた。
笑えたけれども、それが可笑しかったのは現代のものさしで測ると在り得ない店の名前を見かけたからだ。
写真の一連の施設が建てられたのはいつ頃だろう。
風化具合を見るにおそらく60年代後半から70年代といった見栄えに感じる。
当時たぶん、ようやく焼け野原からの復興を遂げつつあった都市部の中流家庭の人達が時々の連休の折に「観光」が出来るようになったのではなかろうか。空前の「観光」ブーム。
1ドル=360円の時代に海外旅行なんて夢のまた夢。
人々はこぞって国内の何もない風光明媚な田舎に束の間の休息を求め出かけたに違いない。
そして国も貧しい田舎へ経済効果を波及させるためにそれを奨励し、わずかばかりの助成金を地方に渡す。きっとその金で猫の額ほどの名ばかりテーマパークや温泉、旅館、その他がいろんな山間部の町にぽこぽこと建つように。
戦中の被害も少なく戦後も大きな変化が見られなかった地方の小さな町に突如わき起こった「観光ブーム」。そいつはきっと貧しい日本が夢見た豊かさへの一歩目だったのか、なんなのか。
都市部の団地の井戸端で主婦たちは先の連休に自分たち家族が「観光」に行ってきた事を自慢し合う。
主婦A「こないだのゴオルデンウイークは宅の主人が家族を観光に連れて行ってくれたんざまスよ」
主婦B「あらあら、お宅も?!うちもなのよ、奥サマ。観光レストランで冷たいアイスコーシーを頂いてきたの、おいしかったワァ〜。主人が子供を遊園地で遊ばせている間に贅沢してしまいましたの。このパーマも隣の美容室で、オホホ。」
主婦C「……」
などどいう会話があったかどうかは定かでないが、「観光」に行けなかった主婦Cはダンナが帰宅すると悔しさにワナワナ震えながら次のボオナスで「観光」に連れていくとダンナに約束を強要するのだ。
テーブルの上には主婦A/Bにおすそ分けしようと思っていた田舎から届いた野菜が山のように盛られている。
彼女は悔しさのあまり、渡すはずの野菜を持ち帰ってはダンナの帰りを待っていたのだ。ああ、恐ろしや。
あの当時、焼け野原から一斉に再スタートをきって誰もが豊かさを求めていた時代、「観光」に行くというのはひとつのステータスになっていたのかもしれない。
もはや「観光」という言葉はひとり歩きしていて行けさえすれば場所などどこでも構わない。「観光」という言葉ひとつあれば他人よりも一歩先んじる事のできる手形のようなものであったと。
きっとそうであったに違いない。
だからこそ、最初の美容室も便乗したのだろう。そう思う事にする。
でなきゃ、ただのアホだ。
それではまた。